パン屋の二階のカフェで

三連休の初日

 この三連休は初日である土曜日(10月7日)だけ天気が良いらしい。後の2日は荒天に見舞われるらしい。そうなれば「三連休らしいことは土曜日に済ませておこう」と考えるのが自然である。

 昼下がりの暖かな日差しを浴びて散歩でもするか。たまにはいつもと逆方向の電車にのってみようと考えた。そういえば,「お宅の会社の宣伝を番組でやってあげるから,会社と逆方向の電車に乗って英気を養う様子を撮らせてくれませんか」という番組もあったなぁ。処理すべき業務のある平日にそんなことはできないが,休日ならできるな。

 電車に揺られること数駅。市の中心部から30分は離れた街にきた。住宅街が多いがレジャー用のクルーザーが泊まる港もある。近くに私立大学もあるから,若者は多いし,彼らが行くであろう飲み屋も充実している。スーパーやドラッグストアもある。誰もが憧れる都会という風情ではないが,田舎から出てきた人なら馴染みやすい街並みだろう。少し歩くと町の不動産屋がある。大学生用のワンルームアパートを家賃3万9000円から貸し出している。さすがに安すぎるが,市の境までくると相場はそんなもんだろう。

 近隣の私立大学には何度か足を運んだことがある。よく英検やTOEICの公開会場として指定されることも多いからだ。ここ5年くらいご無沙汰しているから,自分の英語力も低くなっているのだろうな・・・

 あてもなく国道沿いを歩いてみると何件かコーヒー屋があることに気付いた。コーヒー屋といっても豆を量り売りしたり製粉して売ってくれるタイプのお店で,散歩している者がふらりと立ち寄るようなきらいの店ではない。そんな店を横目に見ていると休憩がてらコーヒーを一杯飲んでみたいなと思うようになる。思えば,駅からさらに郊外に向かって歩いているから,この先に僕ののどを潤してくれるだろう喫茶店はなさそうだ。

 そこでiPhoneを取り出して周辺検索をした。最近iPhone15 Proが自宅に届いて機種変更をした。その際,YouTubeで紹介されていた周辺検索をするショートカット機能をダウンロードして実装したのである。―半分,知らない町。近くになにがあるか見当がつかないから実践してみよう。―そう思った。

 周辺検索のショートカット機能は良くできていて,作った人は賢いひとだろうと思った。起動すると,ガソリンスタンドやコンビニ,ATMなどどれを探しているか聞いてくる。これらはどれも出先で急遽行く必要に駆られる場所である。検索リストの最後に「喫茶店・カフェ」という選択肢があり,これをタップする。すると,Apple準正のマップアプリが立ち上がり,周辺5キロメートルくらいだろうか,いくつかの候補をリストアップしてくれる。

 僕が進んでいる道の先にも何件かあるようだ。しかし,良く見てみるとそれはコンビニであった。たしかに最近のコンビニはテイクアウトコーヒーが充実しているし,事実ローソンはその手のサービスを「まちカフェ」とかなんとかというキャッチコピーで売り出しているから全くの的外れだとは思わない。だが,そういう検索結果を平気な顔して出してしまうのはどうなんだと思わないではない。結局,これ以上先に進んでも何もなさそうだから,駅前まで引き返すことにした。

パン屋に入る

 周辺検索のショートカット機能も大通り沿いから外れた個人経営の純喫茶まで出してくれたので,検索結果を精査すれば使い勝手はいいだろうと思った。その喫茶店は,おそらく店主であろう女性の下の名前を冠した店名で,店先のボードにはサイフォンで淹れているという。

 最近はめっきりサイフォンで淹れるコーヒーは減った。数年前までサイフォンで淹れるコーヒーチェーンもあったが,今ではドリッパーでの抽出にかわってしまった。サイフォンで淹れるコーヒーは時間がかかる。だから,忙しい時間帯に行くと薄く,余裕がある時間に行くと濃く感じる。淹れる人によっても風味が変わるから,同じ豆でも通う甲斐があるのだ。

 だからその店に興味はあったが,しかし入店は断念した。なぜなら,この手の個人経営の喫茶店は現金しか使えないからだ。僕は,軽い散歩のつもりで出かけたからスマホと文庫本しか持っていなかった。キャッシュカードは持っていたので,コンビニのATMで現金を下ろして再度入店することも可能ではあったが,小銭を持ち帰るのが面倒くさい。そこまではしたくない。そう思って別の店にすることにした。

 駅前にはタリーズコーヒーがある。だが,多くの客でにぎわっていた。なぜなら三連休の初日だからである。1階にパン屋のテナントが入っているビルを見つけた。見上げると,2階はカフェ・レストランだという。「さっきの周辺検索には引っかからなかったな」、実際に歩いてみるとそういう店は結構ある。それは町を歩く楽しみの一つでもある。

 懸案は現金以外の決済手段に対応しているか,である。入店してみるとまずレジ機があり,PayPayのバーコードの立て札とクレカの読み取り機があった。「VISAのマークはあったから,Suica楽天ペイが使えなくてもクレカは使えそうだ。そうでなくてもPayPayが使えるならそれで支払えばよいな」。そう思って店員にキャッシュレス決済に対応しているか,確認することなく促された席に座った。

かぼちゃプリンとアイスコーヒーを頼む

 店内はハロウィーンの装飾であふれていた。家族連れやシルバー世代が友人同士で歓談している様子が見えた。ここには胡散臭い投資話をする若者は見当たらない。そういう連中がいると気が気でならないから安心した。

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 頼んだ品はすぐに運ばれてきた。アイスコーヒーは意外に量が多かった。400mlはありそうだ。今朝はコーヒーを飲んでいないから、カフェインの取り過ぎにはならないが、午後にこんなに飲むのは少し気後れするな。

 暫くプリンとコーヒーを嗜みつつ『君たちはどう生きるか』を改めて読んだ。数年前に亡くなった祖父がお気に入りだった一冊である。僕が中学生の頃勧めてきて,当時はコペルくんが人間と分子の共通性に気付く第1章だけを読んで本棚の肥やしにしていた。その後,祖父が亡くなってから何章か読みすすめた記憶こそあるが,読了した記憶はない。章ごとで話は区切れているから中座しやすく,しかし再開しようという気持ちになりにくいのであった。

 数年前に唐突なブームが到来してからは,逆に読む気が失せていた。ところが,最近は宮崎駿の映画で話題になった。しかし本書は宮崎の映画と直接の関連性はない。映画の主人公・眞人が,本書を読んで勇気を出すという描写があるのみだ(おそらく彼が読んだのも第1章だけであろう)。本書を読んだ人ならば眞人の行動変容に共感できるという点では関連性はある。そういう意味では映画『君たちはどう生きるか』は,本書を読んだことを前提としているのかもしれない。

支払をすませて帰ろうか・・・そういえば

 日も傾いてきた。寒くなると家路がしんどいのでそろそろ会計をしよう。そういえば,キャッシュレス決済に対応しているか確認していなかった。

 既に商品提供まで済んでいて「当店のお支払いは現金のみです」と告知された場合,どうなるだろうか。実際上の対応は,現金を持ち合わせていない(キャッシュレス決済しか対応できない)旨を伝えてATMに駆け込むだろう。店側も代金を受け取らずに客を外に放すのはリスクだろうから,身分証を預けるか個人情報を差し出して一時解放してもらうことになるだろう。

 この場合,僕は代金を支払わなかった場合,どのような犯罪が成立するだろうか?

刑法の教科書では,無銭飲食詐欺事例が紹介されることが多い。

事例⑴

甲は,持ち合わせのお金がなく,代金を支払うつもりがないにもかかわらず,かつ丼屋に赴いた。案内された席に座った後,甲は,店員に対して「かつ丼1つ」と申し向けた。店員は「毎度あり」と返事をし,10分後,店員は甲に対してかつ丼を提供した。甲はかつ丼を食べた後,代金を支払うことなく店を立ち去った。この場合の甲の罪責を論ぜよ。

 結論としては詐欺罪(刑法246条1項)が成立する。詐欺罪が成立するためには「人を欺いて」(246条1項)という要件に該当することを要する。

(詐欺)
第246条 人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。
 前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

 「欺」く行為といえるためには,財物の交付や財産上の利益の処分に向けて人を錯誤に陥れることをいうとされている。そして「欺」く行為の内容としては,相手方の交付行為・処分行為にの判断の基礎となる重要な事実を偽る行為をいうとされている。

 事例⑴の場合,甲は,店員に「代金を支払うつもりである」と明確に申し向けていたわけではない。店員が勝手に「甲が代金を支払うものだ」と勘違いしたにすぎないというならば,屁理屈ではあるが理屈を通そうとすると間違ってはいないのである。しかし,「社会通念上,飲食店で注文をしたらその代金は支払われるものだ」という経験則がある。したがって,甲の注文は「欺」く行為にあたるのだという説明として,無銭飲食事例がよく持ち出される。注文の時点から代金を支払う意思がなく,無銭飲食をはたらいた場合には,提供されたかつ丼を「財物」とする詐欺罪(246条1項)が成立する。

 では,次の事例ではどうだろうか。

事例⑵

甲は,かつ丼屋に赴いた。案内された席に座った後,甲は,店員に対して「かつ丼1つ」と申し向けた。店員は「毎度あり」と返事をし,10分後,店員は甲に対してかつ丼を提供した。甲はかつ丼を食べた後,持ち合わせの金がないことに気付いて,店員に「持ち合わせの金がないからATMでおろしてくる。すぐに戻る」と言い,店員の了解を得て店外へ出た。しかし,甲にはATMで現金を下ろし,店に戻るつもりは最初からなかった。この場合の甲の罪責を論ぜよ。

 事例⑵は事例⑴と異なり,注文する時点では代金を支払うつもりがなかったわけではない。だから,事例⑵における甲の注文行為を「欺」く行為とはいえないのである。そうだとすると,事例⑵ではかつ丼を「財物」とする詐欺罪(246条1項)は成立しない。

 しかし,甲は,店員に対して,「持ち合わせの金がないからATMでおろしてくる。すぐに戻る」と嘘を申し向けている。この嘘は,店員に対して「甲が現金を用意して代金を支払うだろう」という錯誤に陥れる行為であり,店外へ出るという処分行為に向けられたものであるから「欺」く行為に該当する。これにより,甲は代金の支払いを免れており,「財産上不法な利益を得」ていると評価され,詐欺利得罪(246条2項)が成立する。

事例⑶

甲は,かつ丼屋に赴いた。案内された席に座った後,甲は,店員に対して「かつ丼1つ」と申し向けた。店員は「毎度あり」と返事をし,10分後,店員は甲に対してかつ丼を提供した。甲はかつ丼を食べた後,持ち合わせの金がないことに気付いて,店員に「向こうの客が呼んでいましたよ」と言い,店員の注意をそらして店外へ出た。この場合の甲の罪責を論ぜよ。

 事例⑶では,事例⑵と同様に店員に嘘を申し向けているが,嘘の内容が異なる。事例⑶の嘘は,店員の処分行為(現金を用意するために店外へ出ることの許しを得る行為)に向けられた嘘ではなく,店員の注意をそらすための嘘である。したがって,「欺」く行為に該当しないから,この場合,詐欺罪は成立しない。

 利益窃盗という類型にあてはまる。窃盗罪をみてみると,客体は財物に限定されているので,事例⑶では何の犯罪も成立しないということになる。

検察官ならどうするか

 僕は注文時点まで代金を支払うつもりはあった。一瞥して確認した程度だがキャッシュレス決済に対応していそうだし,代金を支払うこともできるはずだと信じていた。したがって,注文行為を「欺」く行為とはいえないように思える。

 また,支払いの段階になり,店側から「当店のお支払いは現金のみです」と言われた場合,僕が「それならば代金を支払いません」と宣言し勝手に帰った場合はどうなるだろうか。「持ち合わせの金がないからATMでおろしてくる。すぐに戻る」などと言わず堂々と「支払わない」というのである。この場合,処分行為に向けられた嘘(そもそも嘘ですらないが)はないから,「欺」く行為はない。そうすると詐欺罪は成立せず,利益窃盗にすぎないから何らの犯罪も成立しないか?

 しかし,僕は「キャッシュレス決済なら支払う用意がある。現金のみの場合は支払う意思はない」という意図で注文していたとする。その場合,注文行為の段階で「欺」く行為の条件付き故意があるとみることができるだろう。自分が検察官だったら,そのように冒頭陳述で主張する。そして,「被告人に条件付き故意があったこと」を立証趣旨としてこのブログ記事の証拠申出をするだろう。

 そんなことを考えていたらすっかり日が沈んでしまった。もちろんキャッシュレス決済に対応していたので事なきを得た。そして,仮に端末の不具合等で現金のみ対応だとしたら,身分証か個人情報を人質に現金を下ろしてきっと店に戻って支払いをしただろう。

 この店は,1階で買ったパンを2階のカフェで食べることもできるそうだから,今度試してみようかな・・・

法クラがマジレスする『アナ雪』①

Twitterでは何度か書きましたし、Instagramにはキャスト一覧の写真も掲載しましたが、12/5に二度目の『アナと雪の女王』(劇団四季)を観劇しました。大学の懸賞論文集の趣味欄に「舞台観劇」と書いた以上は、足繁く四季劇場に通う必要があります。劇団四季のチケットは数か月単位で発売され、ロングラン公演で大人気の『アナ雪』は既に2022年年末までのチケットが殆ど完売されています。

そんな来年末までどうやって予定を見据えているのかよ?と思うかもしれませんが、大半は四季会員。年間3300円を支払って、S席は約1000円引きを勝ち取り、リセールは月5回までは手数料無料で行えるのです。

「とりあえずチケットを確保しておいて、都合が悪くなったらリセールすればよい」

そう考える四季勢は、指が勝手に動いて再販チケットを手中におさめる舞浜勢よりタチが悪い(忠実なお客様)かもしれません。

 

さて、今回は『アナと雪の女王』の舞台、アレンデール王国の国家体制についてマジレスしていきたいと思います。四季のネタバレは避けるように書きますが、基本的には映画を観ている人であれば分かるように書きます(というかマジレスの対象のシーンは四季も映画も完全一緒です(笑))

 

1 アグナル王とイドゥーナ妃の死

さて、物語冒頭で生来より魔法を手にするエルサの手がかりをさぐるため、王と妃は船旅に出て崩御されます。

いくら愛娘のためとはいえ、国王・国王妃が同時に王国を離れるのは国家の危機管理上リスクがありすぎるのでは?

まず現代の国家ではありえないことです。アレンデール王国にはアグナル王の弟妹はいないようですし、後にエルサが戴冠していることからおそらく男女区別なく王位を継承できるものと思われます。そうだとすると、王位継承順位は国王妃、エルサ王女(当時)、アナ王女(当時)と続くことでしょう。

未成年のエルサ・アナを置いて国王・王妃ともに王国を後にすれば、彼らに万が一の事態があった場合にはどのように王国の政治体制を維持するつもりだったのでしょうか。

優秀な参謀がいたのでしょうか、仮に右腕のような人を王国に残しても本当にその人が優秀ならば「国王と国王妃が同時に王国を留守にするのはリスク管理が甘すぎます」と進言するべきでしょう。それともその参謀もハンス王子のように、王政を掌握するために悪だくみをしたのでしょうか。

 

現代の国家では元首に欠缺があった場合に備えて順位を定めておきます。日本の場合は元首が天皇か、内閣総理大臣かめんどくさい議論があるのでそれについて深く立ち入らないでおきますが・・・

天皇の場合には日本国憲法4条2項に「天皇は、法律の定めるところにより、その国事行為を委任することができる」と定められており、この規定に基づいた国事行為の臨時代行に関する法律2条では「天皇は、精神・身体の疾患か事故があるときは、摂政を置くべき場合を除き、内閣の助言と承認により、国事行為を皇室典範の規定により摂政となるべき順位にあたる皇族に委任して臨時に代行させることができる」と定めています。

天皇崩御されれば直ちに皇位継承順位に従って、皇位が継承されますが、そうではない一時的な場合においてもこのようにつつがなく国事行為が執り行われるような制度設計がとられています。そもそも国事行為とは、憲法7条に列挙されている事由に尽きるわけですが、これらはすべて天皇による儀礼的な行為によって効力が生ずるものと考えられていますから、天皇の一時的な都合によって遅滞が生ずることがあってはならないのです。

内閣総理大臣の場合、これ欠けたときは内閣が総辞職すると憲法70条前段で定められています。ここでいう「欠ける」とは、内閣総理大臣の死亡が典型例で他にも亡命や国会議員の辞職がこれにあたると説明されます。内閣総理大臣は「国会議員の中から」国会の議決で指名されることから、国会議員を失職したら内閣総理大臣を務めることができないのです。

このように、内閣総理大臣が仮に死亡した場合には内閣が総辞職する原因となるわけですが、次の内閣が成立するまでに空白期間が生じてしまうと、政治の混乱につながりかねないことが考えられます。そこで、憲法71条は「内閣は、あらたに内閣総理大臣が任命されるまではその職務を行ふ」と定めています。すなわち、空白期間を埋めるための職務遂行内閣として従前の内閣が存置されるのです。

そこで、職務遂行内閣において誰が内閣総理大臣としての役回りをするのか問題になります。この場合には内閣法9条に従って「予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」ことになります。

この内閣総理大臣臨時代理は組閣の際に指定され、現内閣では①松野官房長官、②野田聖子大臣、③林芳正外務大臣、④鈴木俊一財務大臣、⑤金子原二郎農水大臣の順に定められています。通常は官房長官が臨時代理の1番目につけられることが多いですが、重鎮の大臣に臨時代理の1番目を充てるケースもあります。この場合に「副総理」と呼ばれるのです。

 

以上のように日本における執政権の危機管理策としてどのような制度が採られているか説明してまいりました。外遊や地方遊説の際には臨時代理予定者や官房副長官は必ず在京待機しているのが慣例ですので、欠缺や病気による長期離脱だけでなく総理外出中の災害などの危機対応にも準備されているといえるでしょう(ときおりこの在京待機が破られている間に豪雨災害や地震が発生すると野党の攻撃材料になったりなかったり)

アレンデール王国の危機管理にマジレスしすぎるのは良くないのでこのあたりで筆を置くことにします。

読もうと考えている論文リスト

TwitterでさんざんRTしてきたわけだが、あまりTLを荒らしてしまうとミュートされてしまう(既にされている)ので、ブログに適宜まとめながら、整理しておくことにしよう。

 

法律時報

2020年11月

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差別解消法と条例の展開ーーヘイトスピーチ問題を例に展望する・2 尊厳とヘイト……遠藤比呂通

 

2020年5月号

www.nippyo.co.jp

憲法改正憲法変遷  ——ドイツ連邦共和国憲法における安定性と動態性の関係についての考察  ウヴェ・フォルクマン (村山美樹 訳)

消費者法の作り方——規範の基底価値・存在形式・内容・5 消費貸借法制と行動経済学……西内康人

2021年5月号

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同氏合意による区別と平等権――第二次夫婦別姓訴訟を素材に   ……木村草太  「密」への権利(上)   

――コロナ禍の政治的言説状況に関する若干の問題提起……山羽祥貴 憲法訴訟の醸成――実務と学説が導く可能性・2

判例

判例回顧と展望2020」

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地方議会最大判も掲載されているだろうし、憲法はマストで確認するべきかな。民事系の判例もアップデートしなければならないので、読んでおきたい。

 

重要判例解説令和2年度

www.yuhikaku.co.jp

仕方ないのだが、地方議会最大判は未掲載らしい。原爆症認定における要医療性要件の判断、少年保護事件を題材とした論文とプライバシー権侵害、RTにおける氏名表示権侵害等については検討してみよう。

書籍

統治論に基づく人口比例選挙訴訟3

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3ってことは1,2もあるのだろうか。

選挙システム論についても百選所収の判例たちとともに勉強したいと思っているので、何か参考になりそうだったら、参照することにしよう。

 

あいちトリエンナーレ「展示中止」事件:表現の不自由と日本

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図書館から借りたが積ん読状態になっている本。

セミの昨年7月号と併せて読もうと思っている。事実関係の整理にも時間がかかるので、憲法的な評価は一層先になりそう。今年の夏までにそれなりの整理をしてみようと思う。

 

www.jijitsu.net

あいちトリエンナーレの問題点や争点については、このサイトがかなり整理されているように思った。

 

news.yahoo.co.jp

 あいちトリエンナーレについては、世間をそれなりに騒がせたこともあって(当時はコロナなんてない平和な世界でもあったなあ)、それなりにネット記事がそれなりの本数出ているかなと思った。

 

法学セミナー2021年6月号

www.nippyo.co.jp

 学問の自由を統治機構から見るというのは、まさしく昨年の学術会議問題を憲法的なテーマで語ろうというコンセプトなのだろうか。

以前は曽我部先生のゼミ紹介だったが、次は寺田先生のゼミ紹介なのか。最近は大島先生といい、好きな先生がたくさん出てくるなあ。

木下寄稿がものすごく気になる。法律案の違憲審査において審査基準の定立は必要か?2020年度の司法試験から検討するそう、予備の短答が終わったら予備論文やロー入試だけではなく、新司法試験の過去問検討も本格的に開始したい。

 

ロボット・AIと法

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やはり、AIと憲法を考える上での古典になりつつある。18年執筆というが、ここでの議論がどこまで妥当するものか、検討してみよう。

 

論究ジュリストNo.36

www.yuhikaku.co.jp

買ったけど読んでないので、きちんと読みましょう。

 

民事執行・民事保全法

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LQシリーズで民事執行・保全法はアツいかもしれない。

図書館に発注かけておこう、

 

プライバシー権の再構成

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音無論文は読み応えありそうなので、なるべく早く手を付けたい所。

 

論文

萩原淳「近代日本の司法関係資料の現状と司法政治史研究の現在」『政策科学・国際関係論集(琉球大学)』21号(2021年3月)

 

str.toyokeizai.net

松岡啓祐「粉飾決算におけるIPOに関する主幹事証券会社の責任(最判令和2年12月22日の速報解説)」(ビジネス法務2021.5・53頁)

国民投票法改正案

 

 後で読む論文 NBL 1193(2021.5.1)号 情報漏えい・サイバーセキュリティインシデント発生時の実務対応(3・完)    蔦 大輔 米国個人情報・プライバシー保護法制をつかむ(第5回)   米国における個人情報の収集、利用及び開示に関する規制    松前恵環

法学教室No485 倒産法の勘どころ 論ジュリ2020年秋 倒産・事業再生の実務と理論 平成30、31、令和2年度司法試験国際私法&倒産法

 

予備試験短答超直前期における各科目の課題

 

憲法

天皇とか無理

平和主義はたぶん現場思考問題だろうから、おけ

地方自治体の理念みたいなの聞かれたら詰む

 

行政法

義務づけの訴え、差止めの訴えの訴訟要件を把握する、今のところ原告適格と処分性しか判例と紐づけた理解をしていない。

地方自治体の行為に行政手続法は妥当するのか?

自由選択主義→例外・不服前置主義?

行政機関個人情報保護法を一読しておく

→遺族からの開示請求はどうか、など

 

民法

総則は錯誤が怪しい。たぶん今年も出る。

先取特権は第三取得者に引き渡した後は、その動産について行使することができなくなり、ここでいう引渡には占有改定も含むらしい。

質権の設定は、債権者にその目的物を引き渡すことによって効力が生じ、ここでの引渡しには指図による占有改定も含むらしい。

債権者代位と詐害行為取消権だけは何が出ても平気

弁済も大丈夫。

賃貸借も、転貸借が出ると少し迷う。賃借人が賃借地上に築造した建物を第三者に賃貸しても土地賃借人は建物所有のために土地を使用しているから、賃借地を第三者に転貸したとはいえない。→ゆえに建物を第三者に賃貸することは「転貸」にあたらないから、土地賃貸人の同意がなくても、612条2項の問題は生じない。ということと

613条の転貸の効果(転借人は、転借人の債務の範囲を限度として転貸人に対して転貸借に基づく債務を直接履行する義務を負う)ことは分かった。

不当利得?転用物訴権ってなあに?

動物占有者責任とか土地工作物責任とか使用者責任とか、過失責任の原則とか、主張立証責任がどう緩和されているか条文突き詰めて整理しておく必要性

 

商法

機関設計の理解が根本的に欠けている。大会社は非公開、公開問わず会計監査人を設置しなければならないこと(328条1項、2項)を、今日知った。

 

民事訴訟

控訴ってなあに、そういえば既判力で出てくる後訴ってこうそって読むのね。「ごそ」ってよんでたわ

少額訴訟と簡易裁判よくわかっていない。

管轄、除斥・忌避、共同訴訟はまじで出たら詰む。専門委員はようやくさっき理解した。

裁判上の自白と弁論主義と既判力だけは完璧。論文だけはやってたからね。

 

刑法

共犯(とくに教唆犯・幇助犯)の理解が及んでいない。教唆犯中の錯誤の処理

必要的減軽?減免?任意的減軽?減免?

過失の共同正犯は、不注意の共同という主観面ではなく、義務違反の共同という客観面に求めている

 

 

刑事訴訟法

証拠調べ手続の流れを把握しきれていない。

公判前整理手続ってなあに。論文も実務基礎科目までやっておけば、少しは民訴と刑訴の短答対策の負担度が違うのだと確信した。短答おわったら実務基礎科目もちゃんと論文の勉強します!

捜査はそれなりにできる。訴因変更の要否、伝聞法則もばっちり。伝聞・非伝聞は見分けられます。が、伝聞例外の条文の詰めが甘いです。

保釈事由も整理しておかないと、権利保釈と裁量保釈とか名前しか知りません。

自己利用文書と「特段の事情」2020年後期・民訴法

本稿の主題

※この記事は、2020年後期開講「民事訴訟法Ⅱ」の期末レポートとして提出したものをブログ記事として一部改変したものです。同講義の成績が明らかになったタイミングで公表しています。(なおすべての脚注を反映させていない点はご理解いただきたい)

100点満点中→98点

本稿の主題は、「自己利用文書」(民事訴訟法220条4号ニ)該当性に関する二つの決定である。まず課題に提示された某裁判所がした決定(以下「某決定」という。)と平成12年決定*1の相違点を明らかにする。そのうえで、平成11年決定の「特段の事情」は、示された判断枠組みが将来妥当しない事案が発生することを考慮したものにすぎないという私見を前提に、某決定を好意的に評価する根拠を述べることとする。

検討

自己利用文書該当性をめぐる判例

「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」(民訴法220条1項4号ニ)である場合、文書の所持者は文書提出義務から免れることになる(同条4号柱書)。自己利用文書が除外事由とされている趣旨は、外部の者に開示することを予定していない文書にまで一般的提出義務を課すと、自由な意思形成活動を不当に害することにあるからである。そこで、①「外部の者に開示することが予定されていない文書」であること(外部非開示性)、②「開示によって所持者の側に看過し難い不利益が生ずるおそれがある」(不利益性)場合には、③自己利用文書該当性を否定するべき特段の事情がない限り、自己利用文書にあたるとするのが判例*2である。

本稿の主題との関係で言及するべき平成11年決定の意義は、「特段の事情」があれば①外部非開示性、②不利益性が認められる場合でも、自己利用文書にあたらず提出義務を肯定する余地を残した点である*3。なお平成11年決定で「特段の事情」について明確に示されていない。

平成12年決定

この事件は信用金庫の会員が代表訴訟において信用金庫の貸出稟議書について、文書提出命令の申立てをしたところ、この貸出稟議書*4が自己利用文書にあたるかどうかが争われたものである。平成12年決定は、「特段の事情」を「文書提出命令の申立人がその対象である貸出稟議書の利用関係において所持者である信用金庫と同一視することができる立場に立つ場合をいうものと解される」との立場を示した。そして、信用金庫の会員はこれにあたらないとして、「特段の事情」にはあたらず自己利用文書に該当することを肯定した。示された「特段の事情」の解釈にあたらないとされた根拠は以下の通りである。まず、信用金庫の代表訴訟は信用金庫法39条において準用する商法267条に基づくものであり、会員は本件文書の閲覧・謄写請求権を有していない。会員代表訴訟は、会員の地位に基づいて追行するものにすぎないから、申立人である会員を信用金庫と同一視することは困難である、というものだ。そのため、貸出稟議書に特段の事情の存在を認めることはできず、文書提出義務は否定される。この決定から考えると、提出義務を課す余地がほとんどないといえる。

また、平成12年決定で示された「所持者・・・と同一視することができる立場」について、具体的にどのようなものを想定しているかは明晰ではない。

某決定

某決定は、平成11年決定が示した自己利益文書該当性の準則に従って、以下のような判断を示した。

まず、「Y社が法令上の保存義務を負っている文章ではない」ことを根拠に、①外部非開示性を肯定している。次に、本件内部文書は、「本件MBOの検討資料として業務の遂行上作成」されていることから、「一般的には、Y社におけるMBOの遂行が阻害されるおそれ」、「内部における自由な意見表明に支障を来し、Y社の自由な意思形成が阻害されるおそれ」を考慮して、②「類型的には」不利益性があるとした。

外部非開示性、不利益性は文書の一般的性質から類型的に判断するのに対して、「特段の事情」の肯否はその基本的事件の性格、検証に必要な資料と言い得るかどうかを基準に検討を加えている。某決定は、①MBOにおける株氏・経営陣の利益相反の関係性・情報格差(基本事件の性質)、②本件内部文書が第三者委員会の調査・本訴提起請求にかかる検討における資料であること(資料の要検証性)、③3年の時間経過と経営体制・経営状態の変化により再度実施の可能性がないこと(再度実施の可能性)から「特段の事情」があるとして、自己利益文書にはあたらないとの判断を示した。

私見

最高裁をはじめ、判決・決定に示される判断準則に含まれる「特段の事情・・・」という表現の多くは、予測しえない将来の事件において示された規範が妥当しない局面を想定したものではないか。そうだとすれば、「特段の事情」の意義は一義的に定まるものではなく、あくまで①外部非開示性、②不利益性という客観的な判断要素からは自己利益文書にあたりそうだが、そのようにして文書提出義務を免除することで生じる何らかの不都合という表現以上に具体化することは難しい。そのため、「特段の事情」を「所持者・・・と同一視することができる立場」と解釈する平成12年決定は不可解であるし、平成12年決定はこの具体例を挙げていない以上、この解釈を採ることは説得的でない。

一方で、某決定はMBOが「本質的に利益相反の関係にある上、情報格差も大きいこと」を指摘して、「手続過程の透明性、合理性を確保する必要」とその態勢が必要であるから、自由な意見交換・意見表明に心理的制約が生じるのは「一定程度受忍されなければならない」と評価した。基本事件がこのようなMBOであること(前述の①基本事件の性質)を丁寧に考慮している。

また、基本事件と文書のかかわりが強く、被告社外取締役お意思形成過程への不適切な介入行為の存否を検証する必要性があることを挙げている。また、第三者委員会の調査の検証における資料として使用されているから、「手続過程の適正性の検証に必要な資料」としての有用性も指摘している(②資料の要検証性)。

某決定は、③再度実施の可能性を指摘して「特段の事情」を肯定するだけでなく、①基本事件の性質、②資料の要検証性に言及した点で詳細な利益較量がなされた点を評価できる。平成11年決定が示した「特段の事情」は、平成12年決定のように一義的な解釈を採るのではなく、某決定のように具に事情を評価する中で、その肯否を見極めることが欠かせないのではないか。

参考文献

脚注掲示のものの他に、以下のものがある。

  • 島弘雅「株主代表訴訟と文書提出命令」徳田和幸先生古稀祝賀論文集 山本克己・笠井正俊・山田文『民事手続法の現代的課題と理論的解明』(弘文堂、2017年)271頁以下
  • 島弘雅「文書提出命令の発令手続と裁判」栂・遠藤古稀 伊藤眞・上野泰男・加藤哲夫『民事手続における法と実践』(成文堂、2014年)541頁以下
  • 伊藤眞『民事訴訟法[第4版補訂版]』(有斐閣、2014年)443-444頁
  • 上原敏夫・池田辰夫・山本和彦『民事訴訟法[第7版]』(有斐閣、2018年)172-173頁
  • 藤田広美『講義民事訴訟[第3版]』(東京大学出版会、2013年)262-271頁
  • 藤田広美『解析民事訴訟[第2版]』(東京大学出版会、2013年)290-299頁

 以上

*1:最高裁平成12年12月14日第一小法廷決定・民集54巻9号2709頁 (平成12年決定)

*2:最高裁平成11年11月12日第二小法廷決定・民集53巻8号1787頁 (平成11年決定)

*3:上野泰男「文書提出命令(2)―自己利用文書」『民事訴訟判例百選』所収

*4:判例評釈・福井章代、ジュリスト1212号105頁所収(2001年11月15日、有斐閣)によれば、ここでいう貸出稟議書は「信用金庫に対し、問題とされている融資に関する稟議書」および「これらに添付された意見書」である。

ロー進学希望・予備試験受験勢の自主ゼミ

自主ゼミとは

これは、予備試験・司法試験を突破し、法曹を目指す学生同士で組む自主的な勉強サークルである。メリットとしては、定期的に開催することによってペースメーカーの役割を発生できること、仲間意識・知識のシナジーを得ることができることにある。

一方で、時間や目的を明確にしなければただのおしゃべりタイムになってしまうこともあるから、そのあたりのメリハリは欠かせない。また、授業の空きコマなどに実施することなどを考えると、一コマ90分で実施するとよい。空き教室の手配なども考えるとこの時間枠で実施したほうが何かと都合が良いのも事実だ。

具体的には

自主ゼミの目的設定

私の経験からすると、以下の2つのゼミはかなり効率がよかった。

短答演習ゼミ

司法試験の短答は、本試験では足切り・予備試験では第一関門としてやってくる。避けては通れない道である。

そこで、過去問を年度別でゼミ中に解く→解答の根拠について話し合う→法務省掲載の答えを元に採点することを内容とするゼミを行った。ここでの目的は、根拠に基づく短答の解答を増やすことにある。点数は二の次である。

そのため、実施する過去問はお互いに知らせあっておき、ゼミ当日までに自分で演習を重ねておく。当日はいかに根拠を説明できるかに念頭を置いたパフォーマンスを意識する。

事前に予習をしていることを前提にすると、本番の試験と同じ時間で解く必要はない。

憲法・刑法は各50分だが、30分で良い。

民法は75分だが45分で良い。

商法・行政法・民訴・刑訴はそれぞれ30分だが、2科目セットで30分換算で良いだろう。(ちなみに、司法試験本試験にあたっても、下四法の短答演習は条文・判例知識の復習に優良な素材といえると考えるため、仮に予備試験合格を目標としなくとも実施するべきであると考える。)

解答の根拠の議論タイムは演習と同様の時間で実施すれば良い。すると、民法は90分、それ以外の科目は60分で演習+議論が終わる。

民法以外については、その後採点・振り返りを行える余力があった。民法に関しては、時間がある日は一緒に法務省サイトを確認して採点を行ったが、そうでない日は各自採点とし次の授業に向かうなどした。

これを週2回実施し、1ヶ月で2年分の過去問に触れることとなる。司法試験は平成18年から現行制度となっていることを考えると、7ヶ月で過去問を1周できる計算だ。

(ちなみに下四法が本試験で問われていた時代であっても、予備試験を素材とした。)

長期休暇は比較的時間を取りやすい傾向にあるから、その期間に短答訓練合宿ゼミと名付けて1日2回分やるなどした(実際には宿泊を伴うものではないので、合宿といえるかどうかは微妙だが・・・)。

 

論文ゼミ

論文は事前に自身で演習を済ませておき、答案を見せ合う→コメントをし合うこと、採点実感・出題趣旨から何をどの程度論じるべきかを考えるゼミが良い。

単に、論証を整理するだけではなく、どのような論法を提示すると結論がどちらに傾くか、事実関係から何がどのような結論と親和的かを意識した議論をした。

短答ゼミよりも、論文ゼミは自分と実力が近い人とやることが望ましい。明らかな実力差があると、実力の高い者が至らない者に一方的に教える形となってしまい、ゼミを行う意義が薄れるからだ。

ゼミを始めてから、やっぱりやめるというのは角が立つから、まずは同じ過去問を時間内に解くことを一緒にすることを数回重ねてから、様子を見るのが好ましい。

 

基本書・判例百選購読ゼミ

これは、お互いの苦手科目・得意科目が違う場合に効果を発揮するゼミである。

一方が憲法得意民訴苦手、相手が憲法苦手民訴得意といった場合などが例である。この場合、お互いがお互いに教え合うことを通じて理解が深まるし、「教えてやっている」という主従関係が発生しにくいところ関係性もうまくいきやすい。

具体的には指定の教科書など1冊の基本書・判例集をもとに、毎週講義2回分の内容を1回でインプットするというタイプのゼミである。その際、90分のうち30分基本書・20分判例・40分短答演習を意識すると良い。

インプットは結局のところアウトプットを意識するから定着する性質があるので、短答でも定義や規範を書いたり諳んじたりするだけでも意味があるので、アウトプットを意識する必要がある。

得意な方が有益な短答問題を数題厳選して相手に解かせる・解説をすることを通じて相互の理解が深まることが期待できる。

 

自主ゼミの組みすぎは良くない

結局のところ、自主ゼミはペースメーカーとしての役割が強い一方で、そのための準備時間等を考慮するとなかなか時間のかかる営為である。ローとなればそれに加えた課題やテスト対策もあるところ、そのバランスを崩せばうまくいかなくなってしまう。

短答ゼミは週2回、基本書・判例購読と論文ゼミを隔週で実施(計週3回)をとっているが、これはかなり多い方である。コストパフォマンスは常に意識して取り組む必要がある。ときには手を抜くことも必要なので、敢えて予習を雑にして挑むこともある。だが、手を抜きすぎると相手に失礼になってしまうので、自分の実力との対話が必要であろう。

2021年春・最近読んだ論文の要約・コメント

※他にも読んだ論文はありますが、ひとまず公開する形をとります。後日追記して更新することがあります。

磯部哲「『自粛』や『要請』の意味」

まん延防止等重点措置についての問題点の指摘

「最大の問題は、都道府県知事のとりうる重点措置の内容、その期間や範囲、対象職種・行為等について法律上は何らの限定もなく、感染症対策として実効的で妥当な措置がとれるような保障がないようにさえ見えてしまう点である。」

 令和3年改正の新型インフルエンザ等特別措置法についての言及や、感染症法ー特措法の関係性について叙述あり。

 

野坂泰司「いわゆる目的効果基準について」

高橋・古希(下)283頁~

判例が用いる目的効果基準についての批判

憲法政教分離原則の基礎となる指導原理としては、国家が宗教に中立であることを要求するものであるが、国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的・効果に鑑み、我が国の社会的文化的諸条件に照らし、相当とされる限度を超えると認められる場合にこれを許さないものと理解されている。この理解は、完全に政教分離原則を徹底すると、社会生活の各方面においてあらゆる不都合が生じることを危惧したものといえる。

そして、「効果」のメルクマールとして、大法廷判決は「参列者及び一般人の宗教的関心を特に高めるものかどうか」を挙げている。

このような目的効果基準論の批判としては、大別して基準としての有用性を問う(1)全面否定論と同基準を緩やかな分離を是認しうるからより厳格な基準にするべきとする(2)再構成論がある。

(1)全面否定論

この見解は、政教分離原則が前提とする完全分離の徹底放棄論を批判するものである。すなわち、憲法は国家と宗教との完全分離を原則としているから、政教分離原則は基準としての用をなしていないとする批判である。

これを主張する論者としては、尾崎裁判官ほか玉串料事件の各意見にみることができる。

全面否定論に対して、野坂は①習俗的行事化されているものを完全分離原則の例外として許容しうるか、仮に許容しうる場合には宗教的意義を失っているかどうかの判断ポイントは何か、②全面否定論はそもそも目的効果基準論に代わる適切な判断基準を提示しきれているのかという「疑問」を投げかけている。

(2)再構成論

この議論は、目的効果基準が多くの場合において合憲判断を導いているところ、これが厳格な基準ではないものと理解でき、緩やかな分離を是認しうることは肯定できる。そして、目的効果基準が緩やかな基準であることを明らかにするために、レモン・テストとの対比の中で議論を展開している。

レモンテストはアメリカの国境禁止条項違反をめぐる訴訟で措定された判断枠組みである。

①制定法は世俗的な立法目的を持たなければならない。

②その主要な直接的な効果が宗教を促進・抑制することはない。

③制定法は宗教に対する政府の過度な関わり合いを促進するものであってはならない

このレモンテストは、いずれか一つの要素ですら欠ければ違憲となる点で厳格なテストといえよう。

目的効果基準との対比で指摘すると、1目的の世俗性は①を意識、2効果の非宗教性は②を意識しているといえるものの、③は基準の中で現出しきれていない。すなわち、目的効果基準は「政府の過度な関わり合いを促進するものであってはならない」とする視点に欠けていると評価される。

また、目的効果基準は①②③のいずれか一つでも欠ければ違憲になりうることについて、示されていない。

また、考慮要素が「一般人」や「社会通念」の見地を基準とした判断をしているところ、多数者の感覚に依拠した判断をしている。これは少数者への抑圧に繋がりうるのではないか、との批判もある。

さらに、「行為者」の主観的な意図による判断も含まれているところから、行為が及ぼす宗教性からの判断ではないといえる。これも緩やかな基準と評価される論拠の一つといえよう。

このような批判の営為に対して、野坂はレモンテストが「当のアメリカの政教分離訴訟において、(中略)一貫して適用されているわけではない」と指摘している。 

この論文の意義について

アメリカのレモンテストないしエンドースメントテストと目的効果基準の異同について明らかにされている。目的効果基準は、「総合考慮」を通じた関わり合いの宗教的性格を判断し、その後に国家行為の性質を判断するもので、このような事例判断の積み重ねによって判断枠組みが形成されていることが明らかにされている。

政教分離原則のうち、目的効果基準と空知太基準の関連性についても藤田調査官解説を踏まえた書き分けがなされている。また、白山ひめ神社事件や豊平神社事件についても簡潔に事案の概要・判旨が整理されていた。政教分離原則の諸判例の判断枠組みのあり様をコンパクトに理解できるものであった。

最後に、裁判実務が抱える課題として、目的効果基準は総合的判断であってその判断過程が不明瞭であること、判断根拠の明示が欠けている点が指摘されている。