違憲審査基準論と三段階審査論

つい先日、芦部信喜憲法』の第七版が出版されたそうだ。高橋和之によって加筆されたもので、どうやら憲法9条をめぐる集団的自衛権や、刑事手続に関連してGPS捜査の適法性などの近時の判例を踏まえた改定となっているようだ。

 

駿河台交差点の三省堂本店や丸の内の丸善などの法律専門書籍まで扱う大規模書店では、遠くからでもわかるほど平積みされている。改定を知ってこぞって買いにくるであろう芦部信者や、新年度に教科書として買うであろう学生に向けてであろうか・・・と邪推してやまない。

 

憲法という学問は、ほかの実定法領域とは根本的に異なる点が、条文の異質さである。条文の構造がパンデクテン方式に羅列されているわけではない。第一章に天皇、第二章に戦争の放棄というのは、脈絡がなく、条文の配置そのものが意味不明である。

人権規定でも、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」(21条1項)と規定されるだけで、一見この条文だけで、制約が正当化されるのか疑問が生じることもある。

 

憲法施行以来、1960年代までの最高裁は「公共の福祉」論という安易な理由で人権制約を正当化してきた。その証左として、「あんまはり師広告事件」(最大判昭和36年2月15日)などの判例である。この事案は、きゅうの適応症の病名を記載したビラを配布した行為が、あんまはり師による広告禁止に反し起訴された被告人が、同法が21条を不当に侵害するものとして争ったものである。

判決では、「もしこれを無制限に許容するときは、患者を吸引しようとするためややもすれば虚偽誇大にながれ、一般大衆を惑わす虞があり、その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結果を招来することをおそれたためであって、このような弊害を未然に防止するため一定事項以外の広告を禁止することは、国民の保健衛生上の見地から、公共の福祉を維持するためやむをえない措置として是認されなければならない。」として規制を正当化したのである。

公共の福祉による制約正当化が全盛期であった上記判例は、長年にわたって憲法学界による批判の対象となった。仮に営利的動機に基づく商業広告であったとしても、規制態様が「禁止」というのは重大な不利益措置である点を考慮すると、その規制が正当化されるためにはより厳格に審査するべきである、というのが学界の最大公約数的見解であると理解している。

 

そこで最高裁は舵をきって比較衡量論を持ち出した。比較衡量とは、制約によって得られる利益と失われる利益を天秤にのせ、より利益が大きい選択肢をとるというものである。この時期の重要判例としては、博多駅テレビフィルム事件(最大決昭和40年7月14日)などが挙げられるだろう。

この比較衡量論という論証スタイルは、確かに一面では憲法上の権利に対するあらゆる制限事案を対象として、事件ごとの具体的状況を踏まえた個別的な処理を可能にするという長所がある。いっぽうで、衡量される複数の要素の重みやそれを判定する尺度を示さずに往々とした「総合的考慮」という名前で思考過程が不明確な判断を導くものであった。(同様の指摘が駒村圭吾憲法訴訟の現代的転回」4頁にある)

 

そこで生まれたのが違憲審査基準論と呼ばれるものである。これが、ご存じの芦部がアメリ憲法理論に輸入改造することによって発明した憲法理論である。自由権の動機を<精神的自由権>と<経済的自由権>に二分し、(二重の基準論)①規制目的が「やむにやまれぬ利益の保護」の場合に必要最小限の手段ならば制約が正当化される(厳格な審査基準)。後者は目的が積極的か消極的かにさらに分類し、②経済的自由権の消極目的規制を目的が重要で手段において実質的関連性があるならば正当化(厳格な合理性の基準、あるいは「中間審査基準」という)、③経済的自由権の積極目的規制を目的が正当で手段において合理的関連性があるならば正当化(合理性の基準)とした。この二重の基準論を出発点とする三種の審査基準を「三層の違憲審査基準」ということがある(渋谷秀樹「憲法起案演習」参照)

 

この定式化を芦部が望んでいたかどうかはさておき、大衆化して広がりをみせた違憲審査基準論であるが、これは規範定立の省力化と規格化を推し進めることになり、無味乾燥とした理由付けがみられるようになった。この傾向が司法試験の答案などで、「立法目的とは無関係の珍妙なLRAがひねり出され、(中略)短絡があふれている」(前掲・駒村6頁)そうだ。

 

憲法の中での<比較衡量論>対<違憲審査基準論>の勝敗は上述の通り、明らかに後者・<違憲審査基準論>である。そして、その理論を輸入物ながらも提唱した芦部が、彼の死後20年経とうとする現在においても発言力を有するのはそういった理由からなのである。

 

しかし、駒村に「短絡」と指摘される安易な違憲審査基準論のあてはめを芦部が願っていたかはさておき、そのような不都合性がみてとれたのも一面として事実である。

そして、そのような膠着状態から登場したのが、「三段階審査」というものである。違憲審査基準論が頭打ちになった現在、ドイツの憲法学説・判例理論がついに持ち込まれたのである。

まず、三段階審査論とはいかなる考えであるか略述しておきたい。

三段階審査論は、憲法「人権」を「憲法上の権利」論を前提とし、従来の「人権」論が往々にして超実定的な理念や道徳哲学のように語られていたのを修正し、実定憲法の解釈として人権を語ることを強く意識した主張である。

上にあげた21条の条文は、素直に読めば制約が正当化されるのか疑問であるが、あの条文はあくまで<原則>論を示したにすぎず、<例外>として制約が正当化されうる。すなわち、「憲法上の権利」は<自由対制限>の様相を呈した<原則対例外>の構図になっていることが理解できるだろう。

そして、この論証手段を規律する手法そのものを「三段階審査」といい、具体的には、①保護範囲、②制限、③正当化という論証ステップを意識するのである。

 

違憲審査基準論を提唱した芦部の功績は、憲法学界の歴史の中で非常に大きいことは間違いない。いっぽうで、現代ではその不都合性ゆえに三段階審査論を唱える学者が登場してきているのは確かだ。(小山剛『「憲法上の権利」の作法』)<違憲審査基準論>対<三段階審査論>の戦いを「断層」と評する学者もいる(駒村・前掲)

芦部論に終始することなく、現代の不都合性から彼の憲法論証の方法を今一度見直すべき時期がきたのかもしれない。